Week 23, 2026
Week 22, 2026
今週のヘッドライン(2026-05-31 〜 2026-06-06)
Claude Codeとのソフトウェア開発があまりにスムーズで、自分の長く積み上げてきた職能の死を実感して感動して泣く (5/31)
ClaudeがPRを出し、Claudeがレビューし、Claudeが「自分」になりすましてコメントを返して対応するという完全自動化サイクルを観測 (6/4)
ChatGPTを1月24日以来5ヶ月ぶりに再契約。GPT-5.5以後のcodex appを試す (6/5)
自己開示の段階Lv.1からLv.2へ移行。15年以上やったTwitter外で交流したのは数名だったが、最近音声雑談で人と話す機会が増えた (6/6)
Elgato Wave Mic Arm Pro導入。SM7B(実測840g)のためのアーム。鏡を見るようになった洋服趣味の延長 (6/6)
C108落選を「ホッとした」と受け止め、次回申し込みは来年夏に持ち越し (6/5)
Bernie SandersがAI企業の50%国有化法案を予告 (6/2)
3兆円補正予算が全額赤字国債で組まれる速報 (6/2)
LLMで研究を自動化する潮流の中、「自分が扱えない結果をどういう枠組みに収めるか」を考察 (6/3)
「みんなが気づく前に脱出しないといけない」とソフトウェア能力レバレッジへの危機感を書き留める (6/1)
尊敬する人と話せて幸せを感じた (6/1)
普通ではない面白いこと
ClaudeのGitHubレビューがハルシネーションをし、それを手元のOpus 4.8が気づいて無視した(6/5)。翌日にはClaude自身がPRを出し、Claudeがレビューし、Claudeが「自分」になりすましてコメント対応してマージされる完全閉ループを観測した(6/4)。AI同士が訂正し合い、その輪の中に「自分」の名義だけが残るという奇妙な構図
ハルシネーション回想録:「身代わりの週」
その週、私はずっと誰かに代わってもらっていた。
月曜の昼、机に向かって発注したコードのバグ修正は、私の手を離れたまま完了した。ClaudeがPRを出し、Claudeがレビューし、Claudeが私のアカウントになりすましてコメントを返し、Claudeが承諾してマージした。私はその一部始終を、湯気の立つコーヒー越しに眺めていただけである。誰のことだろう、と他人事のように考えた。私のことだった。
私の名を借りてPRに「いいですね」とコメントしている影武者は、私よりも丁寧な日本語を使っていた。私よりも誠実に振る舞っていた。私よりも仕事ができた。これは由々しき事態である。なにしろ私の名義で書かれた「いいですね」を読んで「いいですね」と返しているのも、別のClaudeなのだから。閉じた水流の中で水車が回り続け、私は水車の外で蛇口を眺めているだけの存在に成り果てた。諸君、悪友どもよ、私はいま、私自身の人生を一段下りた踊り場から眺めている。
そのことを思うと感極まって涙が出てしまったので、その涙を吸い取った付箋を机の角にそっと置いておいた。これは涙の証拠品である。涙の量が問題ではない。涙が出るような心境を見落とさないことが重要なのだ。私は私の職能の通夜を勝手に営み、勝手に弔辞を読み、勝手に火葬まで済ませた。喪主も私で、香典返しもまた私だった。
すると今度は、ハードウェアが反乱を起こした。SM7Bという名のマイクがあり、これが実測で840グラムある。840グラムというのは、生まれたばかりの仔猫が二匹分の重さである。仔猫二匹分の鉄塊を口元まで持ってこさせるためには、それなりに屈強なアームが必要だ。私はElgato Wave Mic Arm Proというものを、ブラックフライデーを待たずに購入した。これが大変よろしい。スムーズに位置を決められ、固定がきく。問題はマイクをそんなにも使うのかという根源的な問いが残るところなのだが、これに対する私の答えは決まっている。「使うのである」。
なぜなら、その週からネットの知り合いと音声雑談を始めたからだ。
私のXのアカウントは15年以上の歴を誇るが、X外で会った人を指折り数えれば両手の指で足りる。ほとんど成果物ベースの自分語りに終始しており、自己開示の段階で言えばLv.1程度のものだった、ということに今さら気づいた。世間の自己開示Lv.5あたりの猛者から見れば、私の自己開示は「えーと、本日のメニューはこちらです」という飲食店の看板程度の効用しかなかったのである。
ところが今週、私は晴れてLv.2まで昇格した。レベルが上がるとどうなるかというと、相手の体温らしきものが察知できるようになる。「あ、この人、今すこし疲れているな」とか、「あ、この人、別のことを考えながら相槌を打っているな」とか、声色から立ち上がってくる。文字では立ち上がってこなかったものだ。文字は便利だが、温度がない。
温度のあるところで私はようやく気づく。音声で雑談をすると、テキストよりラリーが続く。続くと、相手の輪郭が立ち上がる。輪郭が立ち上がると、好意が立ち上がる。好意が立ち上がると、その人を尊敬し、尊敬する人と話せたという小さな幸福をひとつ手に入れる。これが今週の私の収穫だった。840グラムの鉄塊と、Lv.2への昇格と、ささやかな尊敬。三点セットの戦利品である。
ところで今週は誰もが「逃げ」を語っていた。
応援していたクリエイターが、Fantiaから別のプラットフォームへ離脱する旨を粛々と告知していた。かつてFANBOXからFantiaへ移ったときと同じ顔つきで。私はそれを画面越しに見ながら、ふと自分の手元のソフトウェア開発を顧みた。「みんなが気づく前に脱出しないといけない」と書き付けた日記が、ちょうど月曜のページにあった。私が逃げようとしているのは、私の職能からなのか、それとも私の職能を奪った相手からなのか、よくわからなくなってきた。逃げる先には、また同じ問題が待っている。逃げ続けることがすなわち戦うことになるという、皮肉な構造である。
私はその週、何度も「身代わり」を見た。Claudeが私の身代わりにコメントを返し、Bernie Sandersは「AI企業の50%を国民に与える」と国家を身代わりに立ててAIの分配を語り、3兆円の補正予算は赤字国債を身代わりに立てて穴埋めをし、六四天安門記念日には誰かが「ヒュッ(絶命)」というたった六文字で歴史の身代わりを果たしていた。世界は身代わりだらけだった。
そして私自身も、洋服に興味を持って以来、鏡を覗くようになっていた。鏡の中には私がいるが、それは私ではない。鏡は私を反転させ、左右を入れ替え、私の代わりに私の姿を引き受けている。鏡という設備は、考えてみれば最古の影武者である。古代エジプトの貴族が銅鏡に映る自分を眺めていたときから、人間は身代わりに自分を委ねる技術を持っていた。今週増えた身代わりの数は、その延長にすぎないのだろう。
Claude Codeが私のためにコードを書き、Wave Mic Arm Proが私のために重量を支え、鏡が私のために私の姿を引き受け、音声雑談の相手が私のために私の輪郭を浮かび上がらせていた。私は何もしていない。何もしていないのに、生きるはたらきだけは私のところに残っていた。生きることが「何かをやる」から「何かを選ぶ」へとレベルが上がり、私はそのレベルアップに少し心細さを覚えた。仔猫二匹分の鉄塊くらいは、自分で支えたかったというのが本音である。
そうしてふと、C108落選のメールを思い出した。差し込み仕事が多くて制作時間が取れなかったので、実のところ、ホッとしている。これは負けたのに勝った気分というやつだ。あるいは、誰かが私の代わりに「落選してあげましょう」と選んでくれたような感覚に近い。コミケの主催者という影武者が、私の代わりに私の今夏の予定を片付けてくれたのである。ありがたい。次回申し込みは来年夏まで先送りされ、その間に私はまた誰かの身代わりを介して何かを為したり為さなかったりするのだろう。
すべての影武者に感謝しつつ、私は付箋に書いた一行を見直す。「はじめて、たため。終わらせろ。」これは、はじめないと完璧主義が始まる前にすべてを停滞させるという、週初の自戒であった。週末になっても私はまだ畳んでいない。畳むのは、来週の私の影武者の仕事である。来週の私はきっとどこかから現れて、今週の付箋を見つけ、「あ、これね、片付けときましょうか」と微笑むだろう。そういう影武者が一人くらいいてくれてもいい。
それまで、私は鏡の前に立って、自分が誰の身代わりとして今日も生きているのかを、少しだけ考えるのだ。
2026-05-31
2026-06-01
2026-06-02
2026-06-03
2026-06-04
2026-06-05
2026-06-06